【公式】養老孟司 『死とはなにか』〜死は自分のものではない〜
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- Опубликовано: 27 май 2021
- 『解剖学の観点から生と死』③
『死』自分では確かめようもないこと、考えてもしょうがない。
ではどう捉えたらいいのか?
二人称、三人称で考えるべきだと養老先生は語ります。
その観点から若年層の死について、実際若い世代に日々関わりサポートしている方を例に上げながら、環境が人を育てる・周りの大人が出来ること・小幸福感を与える時間作りが、未来ある人生を選択する道に繋がるとお話くださいます。
(2021/05撮影)
【養老孟司著書のご紹介】
養老先生のさかさま人間学(ZouSan Books)
amzn.to/384m1ay
バカの壁(新潮新書)
amzn.to/2Wa4ScE
養老先生、病院へ行く(エクスナレッジ)
amzn.to/3gnJcRz
世間とズレちゃうのはしょうがない(PHP研究所)
amzn.to/3mniiwP
養老孟司の人生論(PHP研究所)
amzn.to/3sA3bRX
遺言。(新潮新書)
amzn.to/3j3Lwif
猫も老人も、役立たずでけっこう(河出書房新社)
amzn.to/3mih6ep
半分生きて、半分死んでいる(PHP研究所)
amzn.to/383qBpu
形を読む 生物の形態をめぐって(講談社学術文庫)
amzn.to/3kgo9kS
「自分」の壁(新潮新書)
amzn.to/3sBagl7
死の壁(新潮新書)
amzn.to/3khcGBR
唯脳論(ちくま学芸文庫)
amzn.to/3y5RHXq
AIの壁 人間の知性を問いなおす(PHP新書)
amzn.to/3szwUdR
#養老孟司 #死とは何か #悩みの乗り越え方 #坂口恭平
先生のように「本当のこと」を言ってくれる人こそ親切でありがたい...。
インタビューの方がもう少し噛み合うとよいのでは
先生の貴重なお話をいつもありがとうございます。
字幕と一緒に入る効果音が不要と思います。
先生のお考えを聞いて深い考えに入ろうとする集中がブツブツ切られるので、可能であれば効果音は無しにしてください。
よろしくお願いいたします。
「大人が子供に幸せな環境を与えるのは簡単にできること。」そのためにこれから生きて行きたい!って思いました。
貴重なインタビューと貴重なお話をありがとうございます♡♡♡
大丈夫♡大丈夫♡大丈夫♡♡♡
先生のお話を聞けてありがたい。沢山の大人に聞いて欲しい。楽しい経験を子供時代を過ごす事がどれだけ人生において大切な事なのか。子供の環境を壊さないようにする事が、大人の役目なのに大人の都合で、子供を追いやっている。子供時代を経験していないから、幸せが何だかわからない大人が増えてしまった。
40代母親です。振り返れば…世の中大人都合で、経済優先になってしまっていると思います。学校、親…トラブルを避けるばかりに、子供をたくましく伸び伸びと育てる環境を取り上げてしまっていると思います。子供がケンカ、競争、様々な問題を乗り越える力を大人が面倒臭がり、甘やかし、大人都合で奪っていると思います。だから、小学生でも自殺してしまう時代になってるんだと思います。私は、ずっと今の時代に違和感を感じていたので、世の中に逆らうように子育てしてきました。それで良かったと先生のお話を聞いて確信しました!!
政治家、大人、何が大切なのか見直しの時期ではないでしょうか。
24歳と世間一般では若い人間だけど、小さい頃から「死ってなにか、死んだらどうなるのか」って考えてたから、養老先生の話は本当に勉強になる。
存在が大きければ大きいほど、近ければ近いほど死んでしまった実感は得られない。父が7年前に亡くなったけれど、まだ死んだ実感は得られない。父からの手紙が手元にあって、見返すと筆跡の中にまだ父がいます。死を受け入れる事はとても難しいですね。
先生のお話がすぐまた聞けてうれしいです✨
私も両親が亡くなって二十年余りになりましたが、去る者は日々に疎しではなく、年月を重ねる毎に実感があります。死を受け入れてない、認めたくない、というのではなくて、故人の姿は肉眼で見えないし触ることも暖かさを感じる事も出来ない、話も出来ない事は解りきってます。でも日々の中でふと存在を感じる事もあり、やはり心の中でずっと生き続けているのだと思っています。人それぞれ受け止め方や感じ方ら違うので正解はないと思います。
今日ペットの犬が亡くなりましたがまだ実感出来ていません
『あなただけ苦労(悩んで)してるわけじゃないのよ❗』この一言は、凄いよね😃子供の時代、長かったな。早く大人になりたかったよね🎵
先生の話された自分の死はわからない 親しい人の死を考えよ、という事は良く理解できます。ただ死んでいくのを自分で意識しながら親しい人と別れができるならいいなと思う。でも人生そんな上手くばかりはいかない。たった一人であーこれで終わりかと思いながら死んでいくかもわからない。
やはり自分の死について考えるのはもう不毛のように思える。生きている今が一番だと思い身体が辛くとも生きるしかない…
死は自分のものではないって思っても、いつ?どこで?どうやって死ぬか?考えてしまいます。
苦痛や年金や貯金や財産の処分も考えてしまいます。
三つ子の魂百まで・・・子供の頃に幸せを感じることが出来た人ほど人生を大切にしますね。
視点によって死の定義が変わるというのは興味深い発見でした。
「一人称の死」「二人称の死」「三人称の死」それぞれを分けて考えることで、死をより厳密に定義できそうです。
新たな発見をさせてくださりありがとうございます。
以前、鷲田清一先生がシンポジストで一人称の死、二人称の死、三人称の死についておっしゃっていたのを思い出しました。
おはようございます。私も昨年、いつも手紙を出していた高名な大学の先生が鬼籍に入られました。とはいえ、手紙は散々書いたのでついにこの日がきたかというくらいのショックで済みました。(心理的な免疫なのか)私の場合、公務員試験の勉強をしていた時期が辛かったです。というのも、明るい見通しが全く立たなかったので。あの当時の感想として、「砂をかむような虚しい勉強をする日々」と、インターネット上に投稿していました。公務員試験の反省より、今日では、数学や物理や経済学にも挑戦するようになった次第。
養老先生のお話が聞けて嬉しいです。RUclipsだから聞ける話もあって、貴重だと思います。ありがとうございます。
ところで、日本の神話も生と死などを扱っていますが、神話の作者?の頭脳と、養老先生の頭脳の勝負をみてみたいです。よろしくお願いします。
若者へ。
これは私の意見です。
自死する事は「数分ほどの苦痛」を我慢したら可能かもしれないですが残された人たちの事などを考えてみてください。
次に「数分ほどの苦痛」で楽になれるならもう少し生きてみようかと思ってみてください。
お金の事で自死したり、他人の事で自死するのは「くやしい」と想像してみてください。
自死する事は後でできる。
だからもがいてみてください。
振り返ってみれば私も何十年も前に夏になると竹竿の先に虫取り網を差し込んで、「ミンミンゼミが鳴いたぞ」と言って弟引き連れて近所の山を埃まみれになって走り回ってました。その部分がけっこう今でも自分の肥やしになっているような気がします。それと比べたら今の子たちは根無し草になってるのかなと感じます。土台がないというか。
このお話は貴いですよ!
すごい!永久保存だ。
乗り越える力を得られなかった自分はどうしたらいいんだろう
そんな時もあるさー、よっしゃ次だ次って、僕はいつも思っているよ。
そういう方は沢山おられると思います。
「乗り越えられる人は強い人で優秀な人、乗り越えられない人は弱い人で駄目な人」
これがこの世の勝手な価値観であり、強者の倫理観です。悲しい世界ですね。全ての人間は実はそんなに強くありません。むしろ自分の弱さを認める人の方が強い人だと思います。全ての人間は助けを必要としています。それが無ければ誰一人、一瞬も生きてはいけません。
「どうしたらいいんだろう」 多くの人がぶつかり、乗り越えられず絶望的になった時に人間は死を選んでしまいます。10年前の東日本大震災では、多くの方が自分の財産ばかりでは無く、家族全員を失い、生きる希望を失いました。乗り越えられず死を選んだ方も少なくなかったのです。その人は弱い人でしょうか。わたしはそうは思いません。
私はクリスチャンです。わたしは弱い人間ですが、私と共にいて下さる『救い主イエス・キリスト』は力強い御手を以って私を支え、絶望的と思われる時にも希望を与え、信じる者と共に居て乗り越える力を与えてくださるのです。
なぎさんも是非、イエス・キリストに出会われる事を願っています。
ウラジミール・ジャンケレヴィッチの思想に近しいものを感じる。
字幕、必要か?
インタビュアーも変えてほしい。
知性がついて行ってない。
都会でベビーシッターをしてるのですが、とにかく最近の親御さんは忙しすぎる。昔マンガに書いてあったけど、心をなくすと書いて忙しいと読む。何だか本当に嫌な世の中です。自分の子供と接するよりも、赤の他人と仕事してるんだから。そして、あの人嫌だわとか、嫌われたかしら?なんて言ってる。
国交省白書も読んでいます。官僚が国民を生産性(数字)を上げる道具だと思ってるのがよくわかる。沢山の人の命を守るために〜経済を発展させる為に〜お題目が書いてある。お題目は良いけど、そのお題目ってなんの為に、やってんの?って...そんなに世界の中で経済的な立場が弱くなるのが怖いのか。ビクビクして、海外を見渡して。日本って国は国全体が病気なんだ。年老いた老人がコンクリートの箱の中で死んでいく地獄作っちゃってんだもん。若い人は、どうか心を止むことがないようにして欲しい。
植物なんか育ててると、同じ親の種でも、太陽が当たる場所で育つか、お水が貰えるかで育ち方が全然違う。そんな簡単なことみんな知ってる。でも、知ってるだけで実感は無いんだよなぁ。自分の身になってない。都会なんかで育つと身にならないだろう。見聞きするのと、身にしみるのは全然違うんだから。体の細胞全部で覚えないと知ってるなんて言わない。AIが発達しても、AIに心らしきものが出来ても、機械の体が作る心と、人間の体が作る心が、同じなんて思わないほうが良い。
幼い頃の幸せな人間関係が大人になり心を壊す凶器になった、こんな人はどうしたらいいのでしょうか?
自分が死ぬことを確かめられませんね。
情報で溢れたこの社会でどこに行ったってたかが知れてるって思い込んでしまうんです。隠されて排除されてる死というものに逃げ場を探してるんです。
生と死のバランス。命の交差点。自殺は心の交通事故なのかな。真ん中を歩いてれば事故らないのかな。そうやって全てにバランスを求めます。ボクらは傷つきやすい大人になってしまったので…。
激流の時代。顔を上げると発達障害はボクだけじゃなかった。健常者のつもりで手をつないだ少年の頃の友達は残らず消えてしまいました。
ソロキャンプブーム⛺
大人の保護と承認が必要だと思います…でも今は大人も余裕がない。悪循環。
ヒトは時間の中で生きているので、「楽しい」、「苦しい」、敵味方、愛と憎しみ、生と死、善悪、光と闇などの二項対立(duality)の中で生きています。これらをすべて肯定すると、永遠が浮上してきます。それは時間の延長ではなく、今(now),
ここ(here)ということです。now hereをつなげるとnowhere(どこにもない)となり、時間と空間が無くなり、永遠(eternity)を感じることができます。そして二項対立はもう存在しなくなります。かつてジェームス・ジョイスは「歴史とは必死にそこから目覚めようとする悪夢である」といいました。時間の罠にとらわれると、そうなります。しかし永遠を身にまとえば、一切の対立が消えます。子供の教育で言えば「今ここに集中する」ことを学ぶように導くことなのかなと、思いました。拝聴して偉そうなことを書いたことをお許しください。
生命保険、解約しようかな?
まぁ独り身なら要らないだろうな。家庭があるなら話は変わるけど。
解剖学の観点から本質的な生と死を考えても、そこに答えは無いでしょう。解剖学から見れば人の死は単なる「肉体の死」としか捉えることが出来ないと思います。それでは『私』と言う存在はどうなるのか、人間の探究である思想や哲学、学問、宗教では解決は有りません。私たちにとっての死とは「分離」です。
第一に、一人称として「私」と言う魂が、「仮の住まいである肉体から分離すること」が死です。
第二に、二人称として「私と言う存在の原因者であり所有者であり、私たち一人一人をかけがえのない存在として愛しておられる、『創造主なる神』からの分離」が死です。これは養老氏が言われている2人称の死であって、創造主なる神にとってこの上なく悲しい事になります。
これは思想ではありません。私達の存在の「第一原因者である神」に立ち返らなければ、肉体の死後、「神から永遠に失われてしまう」と言う、大変厳粛な事になります。ここにだけ解決が有ります。
@@user-ze8qm9jw8k 様
非科学的な思想との事ですが、あさりごはん様は、自分自身の存在そのものを科学的に説明出来るのでしょうか?科学によって解明出来ることなど全体のほんの一握りであって、究極的な事については殆ど何も解らないのが科学です。特に日本人は、科学は万能だと考える科学信者が多いですが、養老氏も語っている様に、何故麻酔薬を投与すると麻酔に掛かってしまうのかさえ科学的には解らないのです。アルコールを飲むと何故酔ってしまうのか解りますか?なぜ地球は何もない所に浮いているのか解りますか? いまだに科学的には解明されていませんが、それは事実なのです。人間の理性や感情、良心と言った心、魂の問題を科学によって解明できるでしょうか? 私達は脳で物事を考えていると思いがちですが、それは全く違います。心(魂)で考えた事を脳と言うシステムを通して体に伝えているのです。魂の存在についても、科学的に解明されていないからそれは無い、非科学的だ、等とは言えないのです。人間の学問や哲学、宗教などすべて『不完全』なものです。カントの哲学を勧めて下さいましたが、そのカントは今何処にいるのでしょうか? 彼は死に飲み込まれ腐ってしまいました。死に完全に敗北したのです。その様な人の哲学など私に何の希望も解決も与えてはくれません。『しかし、聖書は違います。』聖書に記されているイエスキリストは、『死を打ち破って甦り』ました。これは数多くの証拠がある事実です。だれにも否定する事は出来ません。キリストは私達の罪と死の問題を解決するために、そして命と希望を与える為一度死に、そして甦り、今も、永遠まで生きて働いている御方です。であればこそ、そこに『完全な解決』が有ります。これは人間の側からの探究では無く、私達の存在の第一原因者なる『創造主なる神からの啓示』です。それが故にこれは『完全』です。尚、反論は構いませんが実名でお願いします。
浅い...
仕事早く終わらないかなあ〜くらいの感覚で人生早く終わらないかなあ〜って思う事はよくある。病んでんのかな?
武士の辞世の句は意味ないってこと?そりゃ無いっすよ
先生!2こめゲッツ
もしも死んだ人に意識があって向こうの世界があったとしたら、生きてる人間のこの想像で作った話しを馬鹿にして笑うのかな?
「知ったかぶりの馬鹿が」て。